2014年12月10日水曜日
2014年11月3日月曜日
2014年10月26日日曜日
2014年10月21日火曜日
2014年10月10日金曜日
2014年8月30日土曜日
2014年8月9日土曜日
はやっ、8月も.....
台風の接近が気になる雨の中、デジカメ塾に参加してきました。
2週間前の猛暑の中、大阪のゴミ処理場で撮った写真の講評です。
フンデルトワッサー設計の巨額を投じた建物はとても魅力的。でも、これをただ説明じゃなく、どう自分なりに表現するかが大事なんだろうな。対象物をどう切り取って、余分なものを省いて、自分の表現したいことを明確にする。この作業は俳句に通じるものがあります。
まあ、それ以前に、技術的に問題のある写真ばかりでした。ちょっと色気を出して、解りもしないのに露出補正なんかやってしまって。カメラの方がずーっと賢いのに。この写真は露出オーバー。日差しがとても強かったのでプラス補正をしたらやりすぎちゃった。難しい〜。
2014年7月25日金曜日
2014年7月13日日曜日
2014年7月7日月曜日
撮影会
誕生日に貰った一眼レフのデジカメ、使い方がサッパリわかりません。豚に真珠、猫に小判と言うんでしょうか?宝の持ち腐れにならないように、ちょっと習って見たいと、近くのカルチャーで「デジカメ塾」なるものを見つけたので、申し込みました。
京都まで、蓮を撮る撮影実習に初参加。嵯峨野の法金剛院で、「今日は勝手に適当に撮ってください」と先生に言われて途方に暮れる私。「先生、オートなのにシャッターがおりませんっ!」なんて言う生徒にビックリされたかなぁ。
そもそも、写真は単に記録媒体であると思っていますから、旅行にはスマホで充分、重い交換レンズを持って撮影のためだけに電車に乗って出かけるなんて、全くの想定外。高級そうなカメラを持ったおじさま達に混じってオロオロ大緊張の一日でした。
それでも、ファインダーから覗く世界は、いつも漫然と眺める花や風景と少し違って、ちょっと刺激的でした。ただ、撮りたい写真と、撮れた写真のギャップの大きさにも直面しました。PCに取り込んだ写真を見ては、ああすれば良かった、こうするにはどうすれば…なんて早くもハマりそうな気配です。
2014年6月29日日曜日
2014年6月24日火曜日
2014年6月18日水曜日
2014年6月2日月曜日
2014年4月19日土曜日
2014年4月9日水曜日
等伯の襖絵を見に京都へ
4月7日、まだ桜の美しい京都へ、東京芸大で美術史を教えておられる、須賀みほ先生の案内で、等伯の襖絵を見るツアーに参加しました。
まず訪れたのは、しだれ桜の美しい智積院。等伯の楓図と等伯の息子久蔵の桜図を見る。
楓の幹の力強い、等伯の楓図もさることながら、父の襖絵に向い合せの、久蔵の八重桜は、華やかで軽やかで気品のあるすばらしい作品で、26歳で亡くなってしまったのは惜しまれる。そして父等伯の悲しみはいかばかりかと思った。
ところで、これらの襖絵は冷暖房の効いた展示室に置かれ、襖絵の前には柵がめぐらされている。なので、西洋の絵画を見るように「絵」そのものに鑑賞の目は注がれる。いったいこの襖絵はどんな場所に置かれていたのか。
その答えに応えるべく、須賀先生は、大書院に案内してくださった。しかしそこに飾られた、模写というにはあまりにきらびやかな複製は、まったく似てもいない非なるものだった。
智積院の庭 |
それにしても、ひどい複製よりは写真のほうがましではないか。
本物の等伯の襖絵はこの収蔵庫に |
等伯がこの場で、何を思い、何を意図し、何を表現したかったのか。同じ場に立ち、同じ絵を目前にしてこそ感じられるものがある。
一方で、どんなに精巧でも、カメラを通しての画像である。
人が「見る」ということは、ただ対象物の画像を網膜に結ぶだけでなく、脳がこれまでの経験や感情を組み入れて「観る」ということだ。やはり本物とは違うはずである。
「保存」とは何なのか。古墳や洞窟の壁画が人工的な環境に移されて劣化した例はよく知られている。修復の作業により墨が消え、鶴の羽がなくなった等伯の絵があった。もちろん、ほったらかしでは、気候の変化などもあり、少しづつ劣化するのが自然だろう。
ならば、いっそ、自然が代謝するように、まったく新しい、現代を映す襖絵を入れるというのはどうだろうか。
2014年4月5日土曜日
2014年3月26日水曜日
2014年3月21日金曜日
2014年3月7日金曜日
2014年2月15日土曜日
2014年2月1日土曜日
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